言わば始まりの、アジフライ

恋を喩えて"甘酸っぱい"と言った人や、
怯える事を"ビビる"と言った人は天才だと思う。

ちなみに『ビビる』は平安時代からある言葉だそうだ。

人間が次々と生み出す比喩表現は、
未だ機械には生み出せない魔術的な魅力に溢れている。

感性は人生を豊かにする。
空虚に彩りを与え、
おそらくは物質では満足できない様に設計されている人間の心とやらを鮮やかに染めてゆく。

ツイッターにもその様な感性豊かな魔術師がたくさん居て、日々楽しませてもらっている。

僅かな文章で、
思わず唸る様な起承転結を見せてくれる人。

心臓が鈍器で打たれる様な、
重苦しさを表現している人。

茶番に茶番で返してくれて、
明るい笑いに変えてくれる人。

たくさんの感性が、
時に日だまりの花畑の様に、
時に泥沼の魑魅魍魎の様に混在している。



そんなカオスワンダーランドツイッターで、
一人の人と出会った。



タイトルで気付く方も多いと思うが、
今回のタイトルはリスペクトのつもりでオマージュさせて頂いた。

なぜリスペクトなのかと言うと、
私はツイッター上の誰よりも、
誰よりも、
その方の感性が、
その方の言葉が、
その方の表現が、
好きだったからだ。

出会いは深夜のタイムライン。
その頃私はまだツイッターの機能をよく分かっておらず、誰かのいいねで表示されたそれを、自分がフォローしたから表示されたのだと思っていた。

「いつフォローしたのだろう、
見覚えの無いアイコンと名前だな」
と思いながらプロフィールに飛んだ。

カバー画像に大きく書かれていたのは、

『糞尿愛好』の文字。

それを見て、
こんなカバー画像を使う感性の人は、
今までの人生で、
そしてこの先も会う事は無いだろう。
これは逸材を見つけたかもしれない。
私の知らない世界がここにあるはず。
絶対に逃してはならない、と思った。

その方の呟きはやはり面白かった。
言葉の使い方が上手で、
刃を持ったり花を持ったりコロコロと表情を変える呟きに心惹かれた。

ツイートを読みながらいいねを付けると、間もなくその方からも私のツイートにいいねが来た。

相手も今ツイッターを見ているのか、
奇遇だなと思いながらまたいいねを押す。
するとまたいいねが返って来る。

なんだか可笑しかった。
手に持った小さな機械の箱を通して、
言葉も無くリアルタイムに意思が往復する。

幾度目かのいいねの後に、
フォロー通知が来た。
こんなコミュニケーションもあるのだなと、
妙なロマンを感じながら、
私も同じくフォローをした。
「楽しかったです。おやすみなさい」
そんな気持ちのフォローだった。

無言の疎通から始まったなんとも言えない特別なご縁。これは大切に続けたいな、なんて事を思いつつ、ずっといいねを往復するだけの間柄が続いた。

しかしある日、
私はその方のツイートにリプライを書いてしまった。

それはその方のブログを読んだからである。

生々しくも軽快な語り口で、
性の事や自身の事を綴る記事の群れ。

文章力、前フリ、オチ、
どれも読みやすく面白い。
そしてどこか古風で、
流麗に耽美な言葉を踊らせる表現力。

それだけではない、読み進める内に、
夢見るリアリストと言うか、自虐的で毒を吐き、一見ドライな中にもロマンを感じる不思議な文章、不思議な魅力を感じ、次第に強く心を奪われてゆく。

ブログを読み始めてから三日も経たない内にすっかりファンになっていた。

人間とは欲深いもので、
求めるばかりの欲だけではなく、
伝えたい欲もある。

自分がその方のファンになってしまった事を伝えたい欲求に負けてリプライをしてしまったのだ。

無言の間柄はついに形を変え、
言葉のやり取りが始まった。

正直、欲に負けた、やってしまった、
と思った。

まあ、やってしまったものは仕方無い、
いっそ言葉の束、
ファンレターをDMで送ろうと思った。

それは私にとって、
生まれて初めてのファンレター。

しかしこれがまさかの悪戦苦闘。
文章を書く事はそれなりに得意と自負しているが、ただ一人の人を思い文章を書く事が、こんなに難しいとは。

書いては消し、
消しては直し、
どうしたらこの感動を自分らしく伝えれるだろうか、失礼な事は書いてないかと、書き上げるまでリアルに一週間程かかった。

レターが完成しても、
送信ボタンをなかなか押せず、
骨折したんじゃないかと思うくらい指が動かなかったのを覚えている。

そしてその返事が来た時と言ったら、
まさしく『胸が高鳴る』そのもので、
嬉しかったな、あの瞬間。



その方が書いた文章の中で
私が最も心をやられたフレーズがある。

勝手に引用してしまうが、

『……そして指の付け根に至るまで愛したころ、男と私は互いの目に涙らしい光の影を宿していた。』

この文章の中の、

『そして指の付け根に至るまで愛したころ』

こんなフレーズは私の人生では生み出せないと心から思った。一撃で心をやられた。

指の先から愛したなら、
心まではまだ遠く、

心が先に繋がったとしても、
まだ指の先までの距離がある。

読み手に解釈の余白を与えながら、
妖艶さ、密度、空気、
距離感を伝えるこの表現は、

文字が目から飛び込み、脳に伝わり、
言語野で処理するより早く、
私の心を鷲掴みにした。

その時の気持ちを言葉にするなら、
「はうあ!」である。

このマジやべぇ感じのフレーズの前で語彙力を無くしマジやべぇ感じになっちまったってなもんである。

この時、私は憧憬と羨望と敬意、
そして幾ばくかの悔しさを抱いた。

例えるなら、
「むむ!これは良い!」ではなく、
「ちっきしょォー!悔しいけど凄ぇー!」だ。

昨今、他人は他人、自分は自分と思い生きていた私にとってそれは久しぶりに訪れた感情で、それが素直に嬉しかった。



しかし先月の中頃か、
ふとした事でその方のツイッターアカウントが消えていた事に気付く。



理由は分からない。

その方と親しくされていた方に、どうしてるのかを聞きたいのだが、なんだかおこがましい気がして聞けずに居る。

実は感染症が収まったら、
会いに行ってみたいと、またしても自分の欲求に負けそうになっていたのだが、叶わぬ夢になるだろうか。

会いに行ってみたいと思ったのは、
一度だけミラクルを起こした事に起因している。

とある日、県外に出張していた時、
行きたいと思っていたお店が閉まっていて、
あらら、と思いながらネットで良い感じのお店を見つけ、

そのお店の名物らしきアジフライ定食を食べツイッターを見ていると、

『ここのアジフライが大好きで……』

と言うツイートが目に付いた。
ほんの小一時間前のツイートだった。

ツイートに添付された画像はどう見ても今しがた私が食べ終わったばかりのアジフライ定食と同じ物。

そのツイート主は、
ファンレターを送ったその方である。
そう、その方が、今さっきまで、
そのお店に居たのだ。

素で「へぇっ!?」みたいな声が出た。

その事をその方にリプライで伝えると、

『ホントですか?!私も今、素で変な声出ました』

と驚きの返事をくれた。
マジですれ違っとるやないかいと、
そんなすれ違いがあるものなのかと、
日本は広いんだぞ。
星の数ほどお店があるんだぞ。

偶然、
出張した日に、

偶然、
行きたいと思ってたお店が閉まっていて、

偶然、
選んだお店に、

偶然、
その方が来ていた。

偶然がそこまで揃ったならいっそ会えたって良いだろう。なのにそこはすれ違うのか。

その頃の私は、
ネットはネット、
リアルはリアルと分けていて、
ネット上で知り合った人とは誰とも会う気は無かったのだが、

アジフライによって急にネットとリアルが急速に距離を狭めてきて、

失礼な言い方だけど、
"ネット上の人" から、
" 実在する人" 感が大きくなり、

一枚のアジフライの写真で、
"存在"としての認識が変わった。

その存在は、
それまでリアルの中には居なかったのに、

その存在が、
モノクロから原色へと染め上げられていくのを感じた。

言わば始まりのアジフライ。

そんな奇妙なご縁、
思い出を与えてくれた方だった。



あなたに、

あなたに、憧れた。

この人みたいな表現をしてみたいと思った。

あなたに、羨望を向けた。

こんなセンスを持つ人が居るなんてと思った。

あなたに、敬意を抱いた。

個性的な世界観を生み出す事に敬愛と言って差し支えない程の敬意を抱いた。

けれどその気持ちは神に跪くそれではなく、
ツイートを見る度に、
リプライを送る度に、
ブログが更新される度に、 
氷山の一角の欠片ほど、少しずつ、
あなたの事を知る度に、

稀有な人生を送り、
人間の歪さと儚さを知る人だと思った。

相反して人間の美しさを、
透明な何かを求めているのだと思った。

その暗と明のコントラストが、
たまらなく人間味に溢れ、
それと同時に掴みどころが無く、
あなたの事をもっと知りたいと思うほど、
踏み込んではいけない気がする不思議な魅力があった。

ツイッターのアカウントは消えてしまったが、
ブログはまだあるだろうかと探してみると、

ブログは消えていなかった。

痕跡。

また更新されるかもしれないのに、
それは痕跡に見えた。

アルバムをめくる様に、
改めてあなたの言葉をめくる。

そこにあるのは、やはり、
詩的で、知性的で、叙情的で、
どこまでも俗で、
どこまでも気品に溢れ、
強く、脆く、
不揃いで、美しい、
唯一無二の、あなたの世界で。



さてと、なんか今生の別れかの様に書き、
そして神の如く褒め称えたが、
今回はワイの語彙の総力を持って、
褒め殺そうと、
もし彼の人が読んだら引くくらいに、
崇拝レベルで褒め殺そうと、
そう思って書き始めたのだ。

なぜかって?

本音は、

居なくなって哀しいぴえん(T_T)

だからである。

哀しいから褒めるって気持ちは、
たぶん分かる人には分かるであろう。

ワイはあまり過ぎ去った物事に固執しないタイプの人間と言うか、固執は大方フシアワセの元凶なのでとっとと見切りを付ける様にしているのだが、

今回ばかりは中々に切ない。

表現のセンスばかりを褒め称えたが、
彼の人は様々な人間的魅力がある人で、
その中でも凄く関心したのは、
リプライで名前を呼ぶのがとても上手だった事だ。

とても自然に相手の名前を呼びながらリプを返していて、聞き上手と言うか、話し上手と言うか。

ワイもそれを真似てみようと頑張ったのだが、
これが存外上手く自然に出来ない。

結果、リプの始めに相手の名前を添えると言う形に落ち着いてしまった。

文章力のみならず、
返しの上手さ、
コミュニケーション能力の高さ、
そういった魅力も兼ね備えてた。

他にも、チープな下ネタで笑ったかと思えば、
美しい言葉を綴り、
かと思えば開けっ広げに性癖を晒し、
ポップにディルドのレビューをしてみせたり、

たぶん彼の人に誰もが抱くその気持ちは、
「何者なんだこの人は」
だと思う。

本当に魅力の塊で、
なのに自虐的なとこがあって、
自覚なき才の……なに?こんなとこで長々語らず探して直接言えば良いのにって?

バカヤロウ無粋な事言うんじゃないよ。ジャパニーズコミュニケーションだよ。届くか分からない手紙の中に情緒ってやつがあんだよ。わびさびってやつだよ。これはファンレターなんだよ。全体公開のファンレターだよ。なんだそれ地獄か。

まぁ、確かにどうしてるか誰かに聞けば良いんだけど、なんだろうな、なんというか、

それは切符の無い閉じた改札口と言うか、
改札口を通る切符が無いと言うか、
そこを土足で飛び越えるのは野暮と言うか、
なんかこう、
なんかほら、
あるじゃんそういうの。
人間の、面倒くさいとこ。

でもその面倒くささが、
人間の、人生の、隠し味だったりするからさ。

あ、そうそう、
ところですれ違ったアジフライの話だけどね、

アジは光を好みながらも、
逆に明る過ぎると忌避するそうだ。

それを知った時に、
ああそうかと思って、
ふふ、いやね、えらく象徴的だなって。

あの時のすれ違いは、



明かりに慣れない人種の、



そう、誰かの誕生日はやたら祝うくせに自分の誕生日を祝われる事を煩わしく思う(でもちょっと祝って欲しい)みたいな僕達の、



本能だったのかもしれないな、などと。



前略、未だ見ぬ貴女へ。
頬を染めていた山肌は雪化粧を始め、
本格的に寒くなって参りました。
どうか、お身体を専一に。



で、オチがあるんだけど、
これ書いてる途中でその人のブログ更新されて、これ投稿しようと思ったその日にその人のアカウント復活しててな、恥ずかしいったらありゃしない。

どこまでもすれ違う我々である。

この記事へのコメント